人生の軸について

Think/考える
この記事は約4分で読めます。

過去の人生の軸

今までは仕事にお金とやりがい、承認欲求のすべてを求めていた。

このマインドは高校生、下手したら中学生の時からうっすらと持ち続けていて、大学3年生の就職活動の時も仕事にすべてを求めるこのマインドは変わらなかった。

自分がやりがいを感じられて楽しい仕事をフリーランスとしてこなせるようになる。それが私の目標だった。

だから就職先を決める際は、自分の短所だけれどフリーランスには必須な営業力を鍛えるために商社を選んだ。

でも働き始めると思い通りにはいかなくて退社。次の仕事はどうしようか考えていたけど全く思いつかなかったので、学生時代からうっすらと興味があった海外生活にチャレンジすることにした。

結論

仕事はお金のため、やりがいや承認欲求はプライベートで満たす

理由

やりがいや承認欲求の充足を求めて仕事を探すのは効率悪い。

仕事でやりがいを仮に見つけても定期的にアップデートしないと飽きてしまう。

そのアップデートをするには昇進や自主勉でやれる仕事の大きさや幅を増やせば解決する。

けれど併せて責任も増えていき、いずれ喜び(やりがい)<ストレス(責任)になってしまう。

そして存在しているやりがいが見えなくなり、この仕事にやりがいは無いとなってしまう。

書き起こしていて思ったがやりがいなんて自分がどう感じるかの内的要因から感じるものなのだから、職場や職種などのいわゆる外的要因を探す際の指標にするのは無謀。

だから、やりがいや承認欲求の充足では無く、お金を求めるべき。

結局プライベートが充実していたら幸せ。

仕事が辛くてもプライベートが充実していたら幸せを感じられる。

少なくともプライベートのために仕事を最低限こなせる。

プライベートは仕事とは違って責任(プレッシャー)なく自分の思うがままに出来る。

若くして結婚する人に対して、大まかな将来を早々に決めてしまって少しつまらなそうだなというかなり否定的な感情があった。

けれどその人にとってのプライベートの充実は結婚であって、その事に私よりずっと前から気付いていたすごい人だといまなら尊敬すら出来てしまう。

私は決定を先送りにしてしまう人間だなとこんな所でもつくづく実感してしまう。

具体例

社会人時代

先でも述べたように、自分の短所だけれどフリーランスに必須な営業力を鍛えるため商社に就職した。

実際にこの職種でフリーランスになりたいという理由は無かった。

ただ、フリーランスになれば時間や場所に囚われずに自由に働ける。会社の歯車になりたくない。そんな希望しか持ち合わせていなかった。

でもそんな希望さえあれば、商社での仕事は修行としてモチベーション維持したまま頑張れると思っていた。

向いていない職種・業界であることは分かっていたけど、将来の希望のためなら頑張れると思っていた。

けれど本来のフリーランスになるという目標を忘れてしまい、そもそもこの会社で働く事が目標達成に必要な要素なのか?なぜ働いているのだろう?と疑問が積み重なり、その回答が見つからず退職してしまった。

そもそも仕事に対して希望を抱くのは私のやり方ではない。シンプルに考えるべき。

お金を稼いで必要最低限の人間的生活が出来るようになるためだけに労働する。この考え方でとりあえずは大丈夫。

なぜそう感じたのかは退職後にチャレンジした海外生活での経験からだと思う。

海外で生活してみて、今までの考え方が変えられた。

仕事は定時に始まり定時に終わる、残業したら怒られる。仕事とプライベートの比率が私(日本)と逆転していた。

仕事や学校の授業が終わればすぐに友達や恋人に会って遊んだり、休みを取ってどんどん旅行に行く。

そんなに仕事をないがしろにしていいの?将来の事なんにも考えてないな。と最初は否定的にとらえていた。

けれど帰国した今思い返すと、否定的に考える自分の後ろに、そんな彼らを羨ましく思う自分も居た。

なにより私を羨ましく思わせたのは彼らのプライベートの楽しみぶりだ。どんなに仕事が大変だった日でも退勤時には笑顔だし、休憩時間も誰かとテレビ電話やチャットをしていて笑顔。

そんな光景を見ているといかに自分が仕事中心で生きていたのかに気付けたし、どれだけ仕事が忙しくてやりがいのない退屈なものだったとしても、プライベートに幸せは見つけられると感じた。

この考えが正しいと確信したと言い切る事は出来ないが、少なくともこの道を目指すのが今の自分にとって最善策だというのは確信できる。

結論

だから仕事はお金のため、やりがいや承認欲求はプライベートで満たすのが私が一番人生を楽しめる軸だと思う。

スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました